バラエティ豊かな上映作品で知られる下高井戸シネマ。しかし都内でも名画座は数えるほどになった。下高井戸シネマがまだ下高井戸京王だった1984年10月10日、中学生だった私は「ミッシング」と「ソフィーの選択」の2本立てを見に来た。それから下高井戸シネマになるいきさつをちらっと雑誌で読んだり、気になる作品を上映しているなあとは思ったりすることはあったものの、再び訪れる機会はなかなか無かった。理由はいくつかあるが、一番は私の家から行きにくかったことだ。そんな私がここに興味を持ったのは、先月のマンスリースペシャルで投稿していただいた「私のお気に入りの映画館」に、ここがあげられていたことだった。そしてあらためていろいろ調べてみると、「ああ、取材しておけば良かったなあ」と思わずにはいられなかった。なぜそれほど興味を持ったのかというと、1つはここが地域との協力がきっかけで閉館の危機を乗り越えたということ。もう1つは名画座の現状を知りたかったこと。閉館という危機を乗り越えた現在、なぜここが映画ファンから支持されているのか、その存在意義を検証してみたい。 |
まず地理がわからない方のために説明しておくと、下高井戸シネマは新宿から京王線で11分。渋谷からでも乗り換え込みで、たかだか8分のところにある下高井戸にある。映画館は駅から歩いてすぐ。まわりは住宅街だが、大きな郊外型のショッピングセンターはなく、商店街があり、どことなく下町の雰囲気を残している場所だ。京王線の電車を降りるとホームに映画館の案内があった。写真ではわかりにくいかもしれないが、現在上映中なのはドラエもん。それはいい。でもレイトショーやモーニングショーも含めて上映を予定しているラインナップは千差万別。「宗家の三姉妹」「バッファロー'66」もあれば「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」「海の上のピアニスト」まで。さらにはアイルランド映画祭からアルノー・デプレシャン特集、そしてなんと知る人ぞしる配給会社シグロの特集上映と、ものすごい幅広いラインナップである。そもそもここは東映の邦画系の作品を上映していたが、その後下高井戸京王として名画座に。そして下高井戸シネマになった。しかし98年に館名は変わらなかったものの、実は経営母体が変わっている。そのあたりを中心に下高井戸シネマを経営する有限会社シネマ・アベニューの荒河治さんにお話をうかがうことができた。 |
−「下高井戸シネマ」の歴史を簡単に教えてください 荒河さん「線引きが難しいんですけれど、下高井戸シネマという名前に変更したのは11年前です。経営母体が京王映画だったのですが、映画興行からの撤退が決定し、ここのオーナーである京王不動産が引き継いでくれるところはないかと探していたところ、ある大手映画興行会社が手をあげまして、そこの運営に変わった時点で、下高井戸京王から下高井戸シネマという現在の名前になり、その後、二番館として、またクラシック映画専門館になったりしてやってきました。そことは3年契約ということで、そのまま二回契約延長更新がされたのですが、3回目の更新にあたる9年目(〜98年3月)に状況が変わりまして、98年4月から、その会社から、私どもの会社(有)シネマ・アベニューの運営になって、現在に至るという次第です」 −「状況が変わった」というのは? 荒河さん「3回目の契約更新の際に、その当時の運営会社が映画興行の経営見直しを行いまして。下高井戸シネマの運営を更新しないことが決まりました。状況として採算的に赤字で、伸びる要素もなく、経営的に二番館にとっては厳しい状況だったこと。それからその会社がミニシアターやシネコンをこれから本格的に展開していく上で、下高井戸シネマのパイロット(データなどをとるための先進展開)シアターとしての役割は終わったのではないかということだったのです。それが決定したのが、97年の9月です」 |
−最初から荒河さんたちが自分たちでやっていこうとお考えになっていたのですか? 荒河さん「最初からではありません。というのもこの建物が映画館用の構造のために他の目的に転用するのが物理的に難しく(筆者注:1階が店舗、2階が映画館、3階以上がマンション構造)、改築の見積もりを出してみたところ、莫大な費用がかかるということがわかり、オーナー側としても、まずそのまま映画館としてやっていくところがないかを探し始めました。でも考えてみたら今までの会社が出ていくぐらいですから経営的には難しいわけですよね(笑) ほとんど声が掛からないうちに時間だけ過ぎていってしまいました。 同じころ私たちはメドが立たないと言うことで、地元の方にそういった状況を説明して回っていました。というのも2、3年ぐらい前からなんですけど、地元の商店街のスタンプサービスの中で当館の入場券を景品として提供したのをきっかけにして、さまざまなおつきあいをさせていただくようになったんです。せっかく近所にこういう施設があるのだからということではじめたわけですけれども、閉館ということで、うちの券を楽しみにスタンプを集めている人もいますから、3月で終わりというのを伝えておかなくてはと思ったんです」 −商店街の方の反応はいかがでしたか? 荒河さん「『残念ですね』『なんとかならないのですか』という声をかけていただきました。しかし資金があるわけではありません。そこでどうにかしようということで商店街の代表の方とお話しすることになったのです。その時に商店街の代表の方から『もし借り手がどこもなければ、あなた方が会社を作ってしまえばいいじゃないですか』と言われたんです」 −うれしい反応ですね。荒河さんはどう返答されたのですか? 荒河さん「実は全然考えていなかったわけじゃなかったんです。というのも京王映画が撤退した時点でも、私たちでできないだろうかとオーナー側に打診しようとしたことがあったんです。でもそんな大きな会社が映画館をほとんど個人経営のような形で任せてくれるわけがないですよね。『冗談じゃない』ということでした(笑) それが頭にあったものですから、今回はそういう発想はなかったんです。でも商店街の方々は、それぞれが経営者の立場ですし、実際に脱サラして有限会社を興してらっしゃる方が結構いらっしゃたんですね。ですからそういうことに抵抗がない。それでそのお話を聞いているうちに、やってみようかと。しかもわれわれだけだったらダメかもしれないけれど、下高井戸の商店街がバックについていただけるなら状況は変わってくるのではと思いました。オーナー側としても沿線住民の声を無視できないかなというのもありましたし」 −不安はありませんでしたか? 荒河さん「もちろん、ありました。現実として業績は悪かったわけですから。番組や運営を変えて急激に上向きになると言うこともありませんからね。会社の開業資金はなんとかなるけれども、運営資金には限界があります。ですから現在の状況でやっていける方法はないかということを考えました。まず家賃の値下げをお願いしました。また様々な諸経費の見直しも考えました。そして運営資金の基礎になるものとして会員制の導入を考えました。そんなことをまとめて京王不動産に提案したわけです」 |
−結果は? 荒河さん「実はその時に1社だけ大手の会社から打診が来ていたんです(苦笑)。それでそちらの方がだいぶ煮詰まってきたところだったんです。ですからそれがはっきりしてから承りましょうということで、私たちの話は上まで行かなかったようです(苦笑) これがその年の12月頃です。それで3月には終わりじゃないですか。私は元は京王興行の社員で、下高井戸シネマになった時に、一緒に会社も移りました。ですから自分の身の振り方も考えなきゃいけなくて(笑)」 −(笑) 荒河さん「それで1月になっても返事が来なくて。やっと1月の末に返事が来たんです。そしたら『そことは契約しなかった』と(笑) 困ったのはオーナー側で。3月で1月末ですからね。そこで私たちの提案に陽の目があたったわけなんです」 −それはラッキーでしたね! 荒河さん「なんとかメドが立ちそうだったので、私ともう1人で有限会社を作りました。これが2月の終わり頃のこと。そこからは比較的トントン拍子に行きましたが、やはり難しいところもありました。まず先ほども申し上げたとおり私たちの会社はほとんど個人に近いということでオーナーから保証人と保証金(賃料1年分)をクリアして欲しいと言われました。保証人の方は商店街の有力者の方々になっていただき、また保証金の方も私ともう1人で出し合い、足りなかった分は商店街の方に動いていただいたおかげで、区の斡旋で安く借りられることが出来ました。そしてようやく契約が成立したのが3月のどんづまり。なんとか4月1日に新体制でスタートできました」 −では開館準備とかは大変だったのではないですか? 荒河さん「実は映画館自体は1日も休んでいません。やってる番組も「ドラエもん」がそのままでした。31日も1日も「ドラエもん」でしたから、知らない人はまったく知らなかったのではないでしょうか(笑) 一応その後にかけた「キャリア・ガールズ」「秘密と嘘」が正式なオープニングです。あまり客足はよくありませんでしたが(苦笑)」 −何かトラブルはありませんでしたか? 荒河さん「一番困ったのが、会員制度のこと。どたばたしていたので準備時間が足りなかったのです。友の会のシステムに関しては一番シンプルなものにしました。会費も一律にして。でも肝心な会員証も出来なかったので仮の会員証を作ったりして大わらわでした(笑) 4月当初で150人ほどだったのですが、5月6月と大幅に増えまして大体300人ほど増えました。会員制自体のメリットもあったと思いますが、事情を聞いて入っていただく方もたくさんいらっしゃいました。また女性のお客様は口コミで広めていただいたというのも大きかったです。8月で1000人を突破し、現在ではのべ3000人ほどになります」 |
−番組編成で何か心がけてらっしゃることはありますか? 荒河さん「何もないです(笑) しいてあげるなら色をつけないようにしようとは思っています。今は2本立てよりも1本立てがまた増えてきましたが、2本立てでカラーを出すと言うことはしません。基本的には何でもやろうと思っています。可能な限りたくさんかけようと。私たちの会社でリスクは背負うことが出来ますから、そういう部分は楽です。また今のところ番組編成に関しては恵まれていると思います。この劇場の経緯を知っていて配給会社さんに協力していただく場合も多いですね。それから都心でムーブオーバーが出来る映画館が少なくなったという点も大きいです。ですからロードショーが終わった段階で下高井戸さんにというお話をいただくことも多くなりました」 −印象に残る作品は何かありますか? 荒河さん「地元との結びつきというわけで印象に残っているのは黒澤明特集ですね。世田谷文学館で「黒澤明の世界」展を開催する際に、もしよければご一緒に何かやりませんかというお話をいただき、うちの方で作品上映を行いました。2週間(レイトショーは4週間)だったのですが、大変な盛況でした。先日行った小林正樹の特集もそうなんですが、ところどころでそのようなアクセントをつけたいとは思っています。先ほどいいましたが、こういう部分は小さな会社だけに動きやすいというのはあります。たとえば「人間の條件」全6部作を一挙に上映しちゃえなんて出来ますから。でも朝入ったら後はそれほど客の出入りが少ないと言うことをよく考えずに入場料金の設定を1600円にしたのは、ちょっと安すぎたかなあと思いました(笑)(筆者注:五味川純平の大河小説の映画化。合計で9時間38分もあり、昔はよくオールナイトで上映されていた。ちなみに私も中学生の時、朝から見て、終わったら当然夜だった)」 |
−劇場のサービスという部分で何か工夫されている点はありますか? 荒河さん「現在下高井戸の商店街だけでなく千歳烏山、明大前、経堂の各商店街でもスタンプサービスで当館のチケットと交換しています。また大きな儲けを出そうとしているわけではないので、資金に余裕があればどんどん設備投資しようと思っています。スクリーンを張り替えたり、トイレを洋式にしたり。音響もドルビーSRを導入してますし。今度ドラエもんの上映が終了したら、イスをカップホルダーつきのものにします。告知のPOPなどはスタッフもいろいろ考えてくれるので、最近は担当を決めるだけで、何も言わなくても大丈夫なんですよ(笑) −単刀直入に聞きますが経営という部分での見通しは? 荒河さん「続けてはいけます。来年のことわかりませんが、でも苦しいときはじっと我慢しますし(笑)」 |
インタビューを終えてみて、その荒河さんのあたたかな受け答えが一番印象に残った。もっと映画に情熱を注いでます!といったぎらぎらした方を想像していたのだが、どこかひょうひょうとしていて、映画館運営のご苦労をさらっと話してしまう部分に逆に、映画が好きで映画館運営に永年携わってきた年月の重みを感じてしまった。帰り際に荒河さんが言った「下高井戸という場所だったから出来たんですよ」という言葉が印象的だった。確かにここは大きな駅でもないし、何か集客するようなランドマークはない。都心に近すぎず、シネコンが出来るほどの郊外にもあらず。そういう下高井戸という場所は幸運だったという意味で荒河さんはおっしゃった。しかしもう1つ、地元の映画館を助けようと協力してくれる人々が住む下高井戸という土地柄という意味もあったのかなと、勝手に筆者は解釈している。 下高井戸シネマの成功が名画座やニ番館の行く末を明るくすると言い切ることは無論出来ない。でも地元や映画ファンとの結びつき方という部分で1つ成功例として希望にはなっていると思う。地元から、そして映画ファンから支持され、人々の熱意と少しばかりの幸運で生み出された、とても幸せな映画館が都内にあるということを、映画好きな私は本当にうれしく思った。そして何よりインタビュー当日、「ドラエもん」を上映中だった下高井戸シネマが場内満員だったことが一番嬉しかったことだ。(文中敬称略) |
取材協力:下高井戸シネマ (有)シネマ・アベニュー(荒河治氏)
文:じんけし
おまけデータ
館名 | 下高井戸シネマ |
備考 | 座席数126 ドルビーSR完備 京王線、東急世田谷線 下高井戸駅下車、徒歩5分 |
文中にも出てきた特典満載の下高井戸シネマ友の会は随時会員募集中だそうです。友の会会員の藤本さんが作っているホームページに詳細(上映スケジュールなどもあります)がありますので興味のある方はどうぞ! http://member.nifty.ne.jp/k_fujimoto/shimotakaido-cinema/ |