本特集の巻頭によせて
「ざ・鬼太鼓座」の悲劇

加藤泰のフィルモグラフィには数多くの名作があるが、その中であまりにも不幸な境遇にあるのが遺作である「ざ・鬼太鼓座」である。佐渡で活動している芸能集団「鬼太鼓座」を追いかけたこのドキュメンタリーは準備に1年、撮影に2年をかけた。デン事務所、朝日放送、松竹の共同製作。しかも本作は70ミリにブローアップされることを見越してパナビジョンで撮影、音も4chステレオで処理されるという力の入れ方。ところが。これだけの作品が81年に完成しながらもお蔵入りとなってしまった。なぜそうなったか諸事情はまったく私の知らないところである。しかしあまりにもこの作品がたどった現実は悲しすぎる。ここから先は私の知っている部分で書きたい。

この映画が一般のファンの前に突然現れたのが1989年の東京国際映画祭であった。「ニッポンシネマナウ」という企画の中でたった1日、10月1日に2度だけ、渋谷松竹セントラルで上映された。私はすぐさまチケットを入手し、昼間の14:30の回で見ることにした。しかし連日の映画祭での鑑賞という強行軍がたたったこと、前半が観念的な場面が多かったこと、それから映画祭上映のためなので英語字幕がついていて見苦しかったことたことで、不覚にも前半30分近く寝てしまった。はっと気がついたときにはもう遅かった。しかもそのがっかりを増幅させることに後半の演奏場面が文句なく素晴らしいのだ。こうして「ざ・鬼太鼓座」は私にとっての幻の映画となった。いずれ正式に公開される、いやビデオぐらいになるだろうという希望を持って。

ところが劇場公開するどころか、ビデオにすらならずに、私がこの作品と再会するまでには、なんとまた5年の歳月が必要だった。ユーロスペースでの「加藤泰 女と男、情感の美学」という特集企画において上映されることが決まったのだ。これは何をおいても行かねばならないだろう。また今回は映画祭でのプリントとは違う字幕なしの綺麗なプリントで見られるだろう。そう思って出かけた。しかしそうではなかった。見ることはできたがプリントは映画祭の時と同じ英語字幕入りのものであった。作品を見ることはできたが、プリントに関しては細心の注意をいつも払っているユーロスペースにしては・・・という思いがあり、問い合わせてみた。するとそこで教えていただいた事情は、信じられない内容であった。「ざ・鬼太鼓座」は世の中にこのプリントしか上映できるものが存在しないというのだ。もちろんネガはしっかり保管されている(イマジカにあるとのこと)。ではなぜニュープリントを作ることができないのか?

事情はこうだ。この作品のお蔵入りが決まった時点で松竹と朝日放送は、この作品の制作費をすべて損金扱いとして処理してしまった。そのため、経理上の問題からこの作品では利益を出すことができず、この作品に関するお金の出し入れも手続きが不可能になっているため、ニュープリントも作ることができないという。本来ならばすべてのプリントは営業部が管理し、名画座などでの上映の際にはそこが窓口になるが、「ざ・鬼太鼓座」のプリントは渉外部が管理している。つまりこの作品では商売は行っていないということである。映画祭に関しては特例ということで字幕入りプリントを焼いたことができたらしいが、今回のユーロスペースでの上映では、この作品に関しての伝票すらきることができないという状況で断念したというのだ。

映画史においてビジネスとアートの葛藤という出来事は日常茶飯事だ。映画の歴史はアーチストとビジネスマンの歴史でもあり、両者の思惑の激闘の歴史でもある。私が知る限りでも、大好きな作品がビデオのみで日本に上陸した名作佳作は少なくなく、興行的にヒットしなかったからという理由で表舞台から消え去った作品も数多く、興行的に見込みがないという理由で作られなかった企画も山ほどあり、興行的な成功を果たせないという理由で作るチャンスすら与えられない映画監督も無数にいる。おそらくこの映画の公開に関してはさまざまな事情があり、それは私たちファンの思いがおよぶところではないだろう。しかしこの作品は間違いなく映画の持つ「ビジネス」という側面の犠牲となった作品である。私は映画が持つビジネスという側面を否定はしない。でも「ショーほど素敵なビジネスはない」のは、映画がアートという側面をもち、見る人の心を動かすからではないだろうか。

今回のインタビュー3本をぜひお読みいただきたい。そこには素晴らしい作品とそれを求めている観客とが出会えないという不幸から、私たちを救ってくれた方々の、映画に対するおもいがひしひしと伝わってくる。そして映画館でみるということがどういう意味を持つのか私たちに考える材料を与えてくれるはずだ。