〜「アイアン・ジャイアント」が暮らせる場所を求めて

このGW、ロボットと少年を描いたある1本のアメリカ製アニメーション映画が日本で公開された。すでにアメリカでは昨年8月に公開を終え、アニメ映画のオスカー、アニー賞を独占!したものの興行的には惨敗し、いつものパターンであれば日本でもひっそりと公開されて終わったであろう。しかしこの作品は実に様々な意味で、映画ファンと映画関係者の間で大きな話題を呼ぶこととなった。画期的な興行形態、配給・興行会社とファンとの協力体制、どれもが作られたきわもの的な興味ではなく、作品の持つ魅力がどれだけ伝えられるかというパブリシティの本質を問うような話題であったのが私には印象的だった。作品のタイトルは『アイアン・ジャイアント』  
この心動かされる作品の日本公開をめぐる物語は、本編に勝るとも劣らない、この作品に魅了され、この作品の持つ輝きを信じた人々の情熱の物語である。「すすめ! アイアンジャイアント」を運営している「平のび会」の秋友克也さんにインタビューした。

 

オーソドックスかつユニークな魅力
−「アイアン・ジャイアント」という作品との出会いについて教えてください。
秋友さん「まずは99年5月頃、後述する「平のび会」の「隊長」から米国オフィシャルサイトのURLを教わったのが、作品を知るきっかけです。そして全米公開翌週の同年8月半ば、幸い仕事で米国に出張する機会があり、もっと幸いなことに上映中の劇場が投宿先と同じ建物に入っていて、喜び勇んで観てきました」
−どのような感想を持たれましたか?
秋友さん「髭面の三十路男が、握りしめた拳の上にバタバタと涙を落としました。それで充分でしょう(笑)」
−どのあたりが一番気に入られたのでしょうか?
秋友さん「第一にこれは、単純で間口の広い娯楽性を備えた、しかし本質的には「大人」の映画だ、と思いました。子供にはわからないという意味ではなく、「大人」を描いていると。私個人の考えですが、現実の厳しさを知らずに理想だけを掲げるのが「子供」、現実に怯えてひねくれるのが「若僧」、そして現実を充分認識しながら、理想や信条を貫くことができるのが「大人」だと思っています。年齢や経験は関係ありません。ついでに言うと、理想も目的もなく責任回避だけ考えるのは「負け犬」です。アイアン・ジャイアントは、幼い精神に存在の罪という最も厳しい「現実」を突きつけられ、それでも迷わず理想を掲げます。彼の「大人」の痛みに共感の涙を流すと同時に、その潔さに憧れました」
−たしかに「現実」という部分が、わかりやすくはしてあるものの、きちっと描かれていたと思います。なんというか苦みというか・・・
秋友さん「殺すのはよくない」という話をした後で、親友を悪のロボットに見立てて光線銃で遊ぶホーガースの不用意さは、彼が今後も無自覚の罪という厳しい「現実」から逃れられないことを暗示していましたし、破滅を目前にしてジャイアントを頼る気配すら見せない街の人々や、親友の決断に胸を引き裂かれながらも引き留める言葉を呑み込むホーガースにも、確かな「大人」の姿が見えました。また同じ事を、映画そのものの製作姿勢にも感じたのです。現在、映画に限らず娯楽産業の多くは、インスピレーションや意欲ではなく、市場調査によって集められたデータを基準に動いています。ビジネスとしてリスクを回避するのは当然かも知れませんが、それが、作品の空疎な「工業製品」化を招くことになっており、長い目で見れば業界全体の活力を奪っているとも言えます。これは「負け犬」の害毒でしょう。それに対して、従来の映画文法への反逆を標榜する作品が増えてきました。しかし私見ですが、こうした作品のほとんどは「若僧」映画です。問題の本質は、「ハッピーエンド」や「よくある展開」ではなく、それが制作者の魂から出ていない点にあるはずなのに」
−そういう意味ではこの作品というのは今までのアニメーション作品から考えると、非常に面白い位置にありますね
秋友さん「『アイアン・ジャイアント』は極めてオーソドックスな作品で、視覚的にもドラマ的にも新しい素材は全くないと言っていいほどですが、しかしアメリカ製劇場アニメとしては、たいへん型破りな映画でもあります。ディズニーが確立したミュージカル・アニメという形式を捨て、ヒロインらしいヒロインもなく、動物のマスコットキャラクターも出てこない。描きたいことと見せたいものをしっかり煮詰め、そのために必要と思ったものだけをフィルムに映した結果でしょう。私はこれに、「見たこともない懐かしさ」とでも言うべきものを感じました。画面や演出のクオリティだけみれば、正直、ジブリやディズニーの安定した技には及ばないと思います。脚本の誤りや嘘や考証の間違いも、いくらでもあるでしょう。しかし、『アイアン・ジャイアント』の作品内外に見える堂々とした「大人」ぶりに、私は新鮮な感動を覚えました」

 

興行的失敗の意味と作品の価値
−私は「アイアンジャイアント」を初めてみたときに、この映画が描いている本質が非常にオーソドックスで大人にも充分通用する世界であるという点は、同様に感じました。しかしながら逆にそれが興行的な弱点にもなってしまった気がしますが・・・。
秋友さん「とにかく薦めるのが難しい映画だということは、とりわけ日本公開前後に痛感しました。材料に新しい部分は何もないし、突出した部分を具体的に伝えようと思ったらストーリーを明かしてしまうことになる。かといって抽象的な絶賛ばかり並べると、胡散臭いですからね」
「アイアン・ジャイアント」は全米公開時、レビューはよかったものの興行成績は芳しくありませんでした。はじめてご覧になった時に、そのことはご存じでしたか?
秋友さん「ある程度は。上記オフィシャルサイトの掲示板で、不入りを嘆く声が多く見られましたから。しかし、あれほどとは思いませんでした。いくら平日最終回とはいえ、開幕翌週、サンディエゴ・コミック・コンベンション(コミックの業界見本市と同人誌即売会が合体した、アメコミ界最大のイベント。全米から大量のコミック/アニメマニアが集まる)のお膝元で、観客は私1人だったんですから」
アメリカで興行的に受け入れられなかった理由は秋友さんはどのように分析されていますか?
秋友さん「本国での公開が失敗に終わった理由については、バード監督がAmazon.comのインタビュー(英文)で語った事情、つまりワーナー経営陣がいつまでも公開日をハッキリ決めなかったため、タイアップなどの交渉ができず、作品の存在自体を事前に知らしめることができなかったことが一番大きいと思います。ところが経営陣も実際のフィルムが完成してから評価の高さに驚き、急いで宣伝費を注ぎ込んだものの、時すでに遅く効果が上がらなかった、とのこと。ギリギリまで公開日が決まらなかった理由までは語られていませんが、前年同社の『キャメロット』が興行的にも批評的にも惨敗だったため、上層部が自社製劇場アニメに興味を失っていたのではないかと思います。無論、他にも要因はいくつもあるでしょう。「子供の観客は同時期に同じワーナーの『ポケモン』に流れ、口コミに敏感な若者層の関心は『ブレア・ウィッチ』に奪われていた」「PG指定で親は及び腰になり、そのくせ広報や商品展開などは幼児向け中心だったので、子供は作品をナメて興味を持たなかった」などなど。しかし少なくとも、「ミュージカル」や「動物マスコット」「目立つCG」があれば興行が成功したとは思えません。そうした要素を持ちながら惨敗しているアニメ映画も、いくらでもありますから」
もう1つ、これはアメコミファンの秋友様には申し上げにくいことなのですが、日本の興行界の現状として、アメリカのマンガのタッチが受け入れられにくいという側面は否定できません。そういった意味では日本ではさらに足かせがあった状態なわけですが、日本でウケいれられる要素としては何をとくにあげられるでしょうか?
秋友さん「それはそうですね。しかし、逆に日本がアメリカより恵まれている条件はいくつもあります。まず銃規制の議論がない。アメリカでは銃擁護論者の反発も、少しながらあったようです。それから卑語の問題がない。生活感を出すため、劇中にはDamnやHellなどといった軽い宗教的卑語が使われ、これがPG-13指定につながりました。日本語ではこうした慨嘆、強調の言葉ほとんど訳せないし、そもそも宗教上の問題がないので、ご存じの通り年齢規制はついていません。また大人がアニメを観ることに抵抗が少ない。子供向けに映画興行を成功させるには、テレビ、雑誌、ゲームなど他の日常的媒体のコンスタントな援護か、あるいは大規模な宣伝が必要です。しかし大人なら、口コミが広がりやすいでしょう。最後に国土が狭い分、上映館が少なくとも話題になることができる点もあります。実は当初、絵や動きに対する拒否反応はもっと強いだろうと予測していたのですが、案外、人物の動きや表情まで好きだという人も多く、かえって驚きました。特にアニメファンに、アメリカ製アニメを受け入れる人がこんなに多いとは思っていませんでした。また監督の談話によると、「絵を動かすために動かす」ことは好まないから、必要な演技の範囲にとどめるよう注意したとのことで、そうした作画姿勢も幸いしたのかも知れません」

 

配給・興行・ファンとが同じ志を持てた幸運
−ネットにて紹介サイトを立ち上げたのは9月後半となっていますが、全米公開から約1ヶ月半後です。なぜサイトを立ち上げようとしたのか動機を聞かせてください
秋友さん「危機感が、その間に育っていったからです。前述の通りアメリカでの興収が悪いことはわかっていましたが、当初は口コミで上昇してくれるのでは、という望みもありました。しかし実際は、9月になっても下がる一方。このままでは日本公開が危ない、ひょっとしたらビデオさえ出ないかも知れない、という焦りが次第に大きくなりました。これほどもったいない話はありません。この映画を多くの人に観てもらいたいという気持ちは、初めて観たときからありました。他の人と感動を共有したいだけでなく、制作者の才能と勇気に報いるためにも。また、観れば気に入る人はきっと多いはずだとも思いました。そこでウェブサイトを開いて、作品と、将来の観客を引き合わせる手助けをしようと思ったわけです」
−サイト立ち上げにさいして、何か目標みたいなものはあったのでしょうか? たとえば劇場公開であるとか、ビデオ発売であるとか・・・
秋友さん「具体的、固定的な目標はありません。強いて言えば「少しでもよい条件で、少しでも多くの人に」ということです。本国での状況を考えれば、国内上映がなくとも、またビデオすら出なくとも、仕方がないという気持ちでした。その場合は、国内版ビデオでも海外版ビデオでも、実現したメディアをプッシュしていこうと。口コミの火種になり、興味を持つ人の輪を広げて、ビジネスチャンスの存在を示し、「ほら、アメリカでの数字は悪かったけど、日本なら商売になりそうですよ」と示すしかないと思いました。それでも口コミの力が足りないなどで上映してくれないなら、それはもう仕方のないことです。むろん実際にはそんなお節介をするまでもなく、関係者の皆さんは作品のポテンシャルをしっかり見抜いておられたわけですが」
−「平のび会」のことも少し教えてください
秋友さん「「すすめ! アイアン・ジャイアント!」の運営母体である「平のび会」は、本来アメコミのファン団体ですが、確たる組織もなく、会員各個の活動を他の仲間が任意にサポートする形で成り立っています。以前からジャイアントに興味を抱いてはいたものの、まだ作品を観てもいない仲間達が、快くサイトの構築と維持に力を貸してくれました。ただし作品に対する気持ちは自分個人のものですし、宝石は様々な角度から光を放つものですから、極力具体的な感想は語らないよう努めました。閲覧者への不要な刷り込みを避けたかったわけです。また、事前に情報を提供しすぎないよう目を光らせる役を、仲間が担ってくれました。「すすめ! アイアン・ジャイアント!」の名前を決め、トップのロゴを作ってくれたのは、そもそもの発端である「隊長」です。そうして9月末に準備が整い、開設にこぎ着けました。まったく知られていない作品を紹介する関係上、画像の無断使用に頼らざるを得ませんでしたが、発起人である自分は実名を載せました。善意からとはいえ他人の権利を侵すのですから、逃げ隠れはしたくなかったのです」
−具体的に何か動かれたのですか?
秋友さん「一応は本業で娯楽に関わる仕事をしているものですから、いくらいい映画、好きな映画だからといって、ビジネス上の制約を無視して客の立場から「上映しろ」と要求する権利がないのもわかっていました。ただ与えられるのを待つだけでなく、事態を改善する努力をすることが、早くからこの作品に接する機会を与えられた自分の責任であるように思えました」
−反響はいかがだったでしょうか?
秋友さん「焦るあまり、各地の掲示板に宣伝の書き込みを残すなど、かなり無礼で強引な行動に出てしまった割には、反響はかなり好意的でした。数週間のうちに数十のサイトが支援リンクにご協力くださり、しかも我々は「サイトのどこかにリンクを貼ってください」とお願いしているだけにも関わらず、多くの方は進んでトップページにバナーを置いてくださいました。ありがたいことです。皆さんのお心の広さと、作品の魅力の賜物でしょう。それから、ありがたい驚きが続きました」
−といいますと?
秋友さん「まず、意を決してサイトのURLと活動内容をワーナー・ブラザース映画宣伝部にメールしたところ、日本公開は同年夏頃からすでに決意しておられたことをお教えくださりました。この英断に、掲示板には「バンザイ」の文字が飛び交いました。加えて我々のサイトを「公認」し、パブリシティに利用したいとのお言葉を頂き、これも望外の喜びでした。なにしろ画像を無断使用している個人サイトですし、この種の活動は煙たがられる方が普通ですから、閉鎖勧告や、最悪の場合は訴訟も覚悟していたほどです。さらに嬉しいことに、「すすめ! アイアン・ジャイアント!」とそのリンク支援者のために試写会を開いてくださり、しかも宣伝会議に招いてくださったのです」
−これは非常に珍しいパターンで、いつもは敵役になってしまう配給会社と友好的な協力関係が築けていることです。これは何が理由だと考えますか? もう少し詳しくお聞かせいただけないでしょうか?
秋友さん「これはやはり、ワーナーさんの勇気としか言いようがありません。形式に囚われず本質を見てくださったお陰、ということです。本来、たとえば画像の無断複製使用は著作権の侵害に当たります。また既存のキャラクターを自分で絵に描くことも、肖像権や同一性保持権に抵触すると言われます。実際、そうした理由でファンの描く絵まで規制する著作者は珍しくありませんし、ファンサイトからオフィシャルサイトへのリンクを嫌がる権利者も多くおります。そしてほとんどの場合、法律的には彼らの行為は正当なのでしょう。しかし正当ではあっても、愚かです。うわべではなく本質を見るなら、1人でも多くのファンが作品を紹介し薦めることは、(まあ大抵は)権利者の利益になるはずなのに。ワーナーさんはこの点、実質を見て我々の活動を容認し、画像の使用権を後付けで認めてくださいました。しかも記事の内容には口を出さずに。何度も言いますが、敬服します。ファンに対する温情というだけでなく、ビジネスとして勇敢で聡明です」
−今回誰もが危惧した部分としていわゆる商業的な部分が大きいと思います。ビデオ発売されるだけでも充分では・・・という意見もあるかと思います。秋友さんは劇場公開とい部分に何かこだわりはあったでしょうか?
秋友さん「私はワーナーさんに「劇場で公開してくれ」と要望したことはありません。ただ、作品が普及するよう応援しているとお知らせしただけです。確かに、より多くの人に観てもらうには、劇場がベストでしょう。特にこの作品は、巨大なロボットが中心ですからなるべく大きなスクリーンで観るべきです。しかしどんな形でも輸入されない可能性もあったわけで、それを考えればビデオのみになったとしても、文句を言うつもりはまったくありませんでした。さらに言えば、そのビデオすら出なくても会社を責める権利がないことは認識していました」
−少し失礼を承知で言うならば「ファンはリスクを背負っていない」?
秋友さん「その通りです」
−仮定の話で恐縮なのですが、もしワーナーさんがビデオ発売のみという決断をされていたら、どうされたでしょうか?
秋友さん「ビデオ版を紹介して推薦、応援するつもりでした。それで人気が広がって、ミニシアターででも上映されればもっといいな、というところですが、無理なら仕方ありません」
−本当にすごいことですね!
秋友さん「米国での興行失敗という、明らかにマイナスのデータを背負った作品の、「質」を信じて積極的に勝負に出ようとし、そのために型破りな形でファンサイトを受け入れてくださるワーナー・ブラザース映画さんとワーナー・マイカル・シネマズさん。その「大人」の姿勢に、制作者に対するのと同様の感動を禁じ得ませんでした」

 

ファンの力、ネットの力
−アイアン・ジャイントは幸運にも映画館にて封切りされました。しかしながらWMCの公式アナウンスはないものの、興行的成功は収められなかったようです。この点に関してはどのようにお考えですか?
秋友さん「口コミの力が及ばず残念です。ビデオレンタルと販売の成功を祈りますし、各地での散発上映が、成功して続いて欲しいものです」
−今回の興行形態はWMCというシネコンのみでの公開という、今までにない形になりました。これは「アイアン・ジャイアント」にとってはプラスになったとお考えですか?
秋友さん「選択肢が無限ならば、これはベストではなかったでしょう。しかし状況を考えればあれ以上の規模を望むことはできませんし、その制限の範囲内では「シネコンのみ」という話題性もプラスになったと思います」
−今回の興行をどう評価するかなのですが、秋友さんは成功と評価されていますか?
秋友さん「劇場で公開されたという一点だけで、成功だと思います。お陰で少数ながら、注目していた人は大スクリーンで観られましたし、ビデオのみに比べれば作品に触れる人も増えたと思いますし、フィルムがあるお陰で各地での上映も続いていますから」
−今回私がもう1つ注目しているのは、この作品を関係者やファンが数多くの場で効果的にとりあげていた印象が強いと言うことです。普段ですと残念ながら日本のマスコミはえてしてとんちんかんな扱いが多いのですが(笑)、
秋友さん「そう、プレスシートのお粗末な引用、というのはほとんどなく、皆さんご自分で興味を抱かれ、ご自分の言葉で語っておられました。多くの人が我々と同様、この映画のために何かしなければ、という思いに駆られたようで、つまり「同志」ですね。またワーナーさんも限られた宣伝費用で告知効果を挙げるために、積極的な業界試写を展開して、「同志」を増やす努力をされたようです」
−劇場公開が決まったわけですから、サイトの役割も変化したと思います。秋友さんとしてはどのような役割を果たそうとお考えになりましたか? またいわゆるパブリシティとしては新しい形態であるインターネットによる情報伝達で何か強み弱みみたいなものはあったでしょうか?
秋友さん「基本目標が「上映の実現」ではなく「作品の紹介と推薦」ですから、何も変わりません。懸賞や試写会、上映館などの情報を集め、提供して、皆さんが作品に接しやすいよう便宜を図っただけです。インターネットでありがたいのは、とにかく費用をかけずに早く情報を集められ、また多くの人に見てもらえること、これに尽きます。そして印刷物などの媒体と違い、興味のある人の間では口コミが広がりやすい。誰かがどこかの掲示板にURLを貼るだけで、すぐ見に来てもらえるわけですから。逆に弱みだと思ったのは、専門化、細分化されすぎているため、属する集団が違うと接触の機会がまるでない、ということです。ありがたいことにアメコミ、アニメ、トイ、映画などのファンの方々にはそこそこ情報を届けることができたと思うのですが、小さな子供とその親御さん、またアニメをあまり見ない人の社会には、ほとんど働きかけることができませんでした。そうした層にも、この作品を好きになってくれそうな人は多いと思うのですが」
−そういった意味でアメリカのレビュー、または秋友さんのサイトなどで見てみようという気になった人が多いと思います。国内海外問わずにマスコミのレビュー、紹介などで印象に残ったものはありましたか?
秋友さん「国内で第一に感心したのは、「週刊アスキー」さん。アニメ映画など畑違いのコンピュータ雑誌で、4週にわたって描き下ろしイラスト主体のカラー記事を連載した上、インターネットで充実した応援ページまで開設されました。れっきとした企業サイトが、タイアップでも何でもないのに。物凄い型破りです。紙媒体で印象が強かったのは、「コミックアフタヌーン シーズン増刊Spring」に掲載された、あさりよしとお氏の漫画「笑う試写室」です。同氏はアニメ雑誌「アニメージュ」の連載でもジャイアントをプッシュしておられ、アニメファンへのアピールで大きく貢献されたと思います。海外で驚いたのは、米国ワーナー・ブラザースのサイトに開設された『アイアン・ジャイアント』掲示板です。ここにはプロダクション・デザイナーのマーク・ホワイティングをはじめ、実際のスタッフが頻繁に出入りし、一般のファンと同じ視点で作品を応援し、時には裏話や解説を披露していました。「同志」の集う非常に豊かな場所で、たぶんこんな例は世界的にも珍しいでしょう。もちろん、作品研究の資料としても一級です。最近は掲示板が移転したのと、作品にまつわる動きがないので沈静化してしまい、寂しくなりました。(過去の履歴はこちら 現在の掲示板はこちら) こうした報道・情報面の他にも、様々な人が慣例を破って『アイアン・ジャイアント』のために動いたと聞いています。雑誌の試写会担当者や、展示物の造型会社や、パンフレットの編集プロダクションなどだそうです。

 

よい作品と観客が出会えないという不幸
−劇場公開のあとの動きについて、少しご報告いただければと思います。サイト管理者の目から見て、サイトを訪れる人の状況に何か変化を感じられたでしょうか?
秋友さん「公開前は圧倒的に、我々のサイトで作品の存在を知ったという人が多かったのですが、公開中から終了後は当然ながら、全然別のルートで作品とのコンタクトを果たされた人が増えました。我々のサイトが役立つのは無論ファンサイト冥利に尽きますが、こうして層が広がるのも嬉しいものです」
−トークライブのレポートで大変印象的だったのはWMCとワーナーの作品にかけたスタッフの熱意、そしてそれに対して真摯に感謝の意を表している秋友さんの気持ちでした。しかし通常の映画ビジネスを考えると、劇場上映→>ビデオ発売でいったん完結します。そういった意味ではこの作品もそろそろワーナーさんの中ではビジネスとしては「終わった」作品になると思うのですが、今後秋友さんはさいとでの活動を続けていかれるのでしょうか?
秋友さん「はい。一応、関連商品などについてもできる限りのことは告知していきますし、何より各地の追加上映の情報を伝えなければなりませんから。あと、実はもっと作品内容の背景やメイキングに関するコンテンツを増やしていくつもりだったのですが、ムック本が出ることになって意義が薄れてしまいました」
(筆者注:「アイアン・ジャイアント」公開後、6/10に「語れ! アイアン・ジャイアント」というトークライブが開催され、「平のび会」の方々とWMCやワーナー映画の関係者が参加した。その模様は「すすめ! アイアン・ジャイアント」の中でレポートされているが、関係者の方々がいかにこの作品に心血を注いだかがとてもよくわかり、頭が下がる思いがする)
−このようなケースが成立したというのは素晴らしい出来事だと思います。無論未公開になりかけたという不幸なケースはできるだけ避けられるべきですが、現状を考えると今後もそういったケースは避けられそうにありません。そういった時に今回のような方法でファンが行動することで再びこういった素晴らしい出来事は起きていくのでしょうか?それとも今回だけの特別な出来事なのでしょうか?
秋友さん「『アイアン・ジャイアント』の場合、まず興行/上映会社の勇気ある容認に支えられて可能になったことですし、また作品自体も極度の普遍性とマニア性が同居していたために火がつきやすかったということはあるかもしれませんが、インターネットという、口コミに強いメディアが発達したお陰で、こうした活動の可能性はますます広がると思います」
−これから秋友さんの人生でまた素晴らしい映画と出会うことと思いますが、もしそれがまた今回と同様な不幸にあったらどうされますか?
秋友さん「仮に愛情の量は同じでも、対応は作品によって変わるでしょう。たとえば私は、『バットマン:マスク・オブ・ザ・ファンタズム』というアニメ映画や、その元になったテレビアニメなどは、実写のどのバットマン作品よりも好きですが、誰にでも薦めることはしていません。これを好きになる日本人は多くないと、わかっているからです。今回、『アイアン・ジャイアント』をここまで推した理由は、漫然と待っているのが恥ずかしくなるほど愚直な作品であった事に加え、「これを好きになる人は多いはずだ」という確信があったからです。潜在需要がありながら、商業的な理由で観客に届けられない傑作ほど、不幸なものはありません。もし、また同じように愚直な熱気と成功の可能性を持ちながら観客に出会えそうにない作品を知り、惚れ込んでしまったら、やはりまた同じ事をするでしょう。しない理由が見あたりません」

 

住む場所を見失いかけていた『アイアン・ジャイアント』という作品が、いかに多くの人々の信念のもとで支えられたかがおわかりいただけだろうか? もうこれはまさに快挙と呼べる出来事である。何が素晴らしいか、それは『アイアン・ジャイアント』という作品に魅了された人々が、その作品が好きだからというそれだけの理由でで結ばれ、実にさわやかに映画界が漫然と抱いている常識をうち破ったことにある。私自身、この作品を知ることができて本当によかった。しかもDVDでだけでなく映画館で出会えてよかった。そんな素晴らしい出会いこそがこの物語が最後にもたらしたハッピーエンドなのである。『アイアン・ジャイアント』は間違いなく見た人の心の中に永住の地を見つけることができた。ジャイアントを救ったヒーローたちへ、私は敬意を表したい。

取材協力:「平のび会」秋友克也(文中敬称略)
インタビュー&文:じんけし

おまけリンクデータ

「平のび会」の「すすめ! アイアン・ジャイアント」ホームページ
作品に関してや上映情報などが掲載されています。
http://www.mnet.ne.jp/~isuta/igtop.html