日劇3館で鑑賞した作品を紹介します。館名パンフレットがあるものはそちらも掲載!


ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
1984.10.06 日本劇場
1984年現在の地に有楽町マリオンが完成、同時に5館の映画館がビル内にオープン。中3だった私は下校後はりきって初日に日本劇場でセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を鑑賞。館内は超満員。しかも長尺ですので1日の上映回数自体も少ない。途中まで通路でしゃがんでみていた(こういうことが普通だった時代でした)。日本劇場はそのころ我々観客が願っていた映画館の理想型として登場。1008席の堂々たる空間(なにしろ結果的にこれを最後に関東圏には1000席規模の映画館は新規オープンしなかったのです)。総絨毯敷きで壁面にステンドグラスをあしらった絢爛たるロビー、ふかふかのシート。さらに嬉しかったのがパンフレットに劇場名が入っていたこと。ここは他とは違うんだという認識をさせられた。 

ゴーストバスターズ
1984.12.06 日本劇場
実はオープニング作品の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』はモノラル音声。音をウリにしている割には大したことがないと思っていたのですが、上映2作目となった『ゴーストバスターズ』で瞠目させられ。今まできいてきた映画館の音とはまったく質の違うクリアで迫力のあるサウンドだったのだ。アルテック社のボイス・オブ・ザ・シアターシステムによる堂々としたホーンスピーカーの音。スーパーウーハーによるキレのある低音。とてもアナログとは思えない繊細なダイアローグ(台詞)の響き。衝撃でした。ここから私にとって「どうせみるなら日劇でみる」が基本になった。

ゴジラ
1984.12.18 日劇東宝
日劇東宝で初鑑賞。そしてめでたくゴジラ映画にマリオン初登場。スーパーXのテーマに盛り上がる!
メトロポリス
1985.02.22 日劇プラザ
日劇プラザ初見参。形状として音響的には有利な作りのはずなのだが、とにかく座席がぎっちり並び、傾斜が緩すぎて見にくい映画館という印象があった。

ネバーエンディング・ストーリー
1985.03.18 日本劇場
日劇のドルビーサウンドに再びしびれた1本。一緒に行った友人のうち1人が下痢気味で、リマールの歌がオープニングで流れてきて「(バスドラの低音が)腹に響くのが辛い!」と訴えてきた(笑)。そもそも真面目な話、リマールの歌(作曲ジョルジオ・モロダー!)でジーンとできるってすごくないですか!(汗)

ターミネーター
1985.05.31 日本劇場
記念すべきシリーズ一作目。作品は最高。でもモノラルだったせいか音としては感激少なめ。

007/美しき獲物たち
1985.07.08 日本劇場
これが私の人生の中でボンドシリーズリアルタイム劇場鑑賞初。日劇じゃなかったらみてなかったかも。とりあえずロジャー・ムーアが老けたおじさんだなあということと、スタントダブルと変わるのがここまで丸わかりでいいのかなあというのが一番の印象。デュランデュランの主題歌は好き。

1985.07.14 日劇東宝
私の人生の中で黒澤映画リアルタイム初がこれ。

ランボー/怒りの脱出
1985.08.03 日劇プラザ
すし詰めに近い大混雑の中で初日に鑑賞。「こっちの方が日劇だよな」と一緒にみた友人と終わった後に文句を言い合う(ちなみに日劇ではまだ『007/美しき獲物たち』)。配給会社の力関係にまだ考えが及ばず(爆)。
ビルマの竪琴
1985.08.05 日劇東宝
当時のヒット作で両親と妹と鑑賞。私が「絶対マリオンで!」とこだわってここになった。家族揃ってみたのはこれが最後かも。

宇宙からの帰還
1985.09.15 日本劇場
日本劇場館名入りパンフコンプリートを狙っていたので、ハッキリいってただそれだけのためにみる気になった。興味もわかない上に内容も凡庸でつまらなかった(汗)。
女と男の名誉
1985.10.28 日本劇場
『宇宙からの帰還』の影響(?)、このブラックコメディにも鑑賞意欲がわかないジャンルだったので、公開直後のなかなか足が向かなかった。そのせいでここで館名入りパンフコンプリート途切れる(涙)行くなら早めという教訓を心に刻む(汗)。

フライトナイト
1985.11.03 日本劇場
教訓を胸に公開2日目に出撃。作品もおもしろかったし、音響もやっぱりシビれた。R・エドランドが率いるボス・フィルムがビジュアルエフェクト担当だったが、まだデジタル・エフェクトのない時代に、オプチカル合成の粗が大スクリーンでも感じないというのも唸った。大満足の一本。

バック・トゥ・ザ・フューチャー
1985.11.27 日本劇場(70ミリ上映)
日劇プラザは開館作品『アンナ・パブロワ』で、以降も『スターマン』などの70ミリ作品があったが、実は本作がロードショーとしては日本劇場初の70ミリ作品。鑑賞日に「あれっ?」となった方は相当マニアック。私は本作が公開まで待ちきれず、「あゆみの箱」が主催する有料チャリティ試写で鑑賞したのだった。森繁久弥が登壇していたが、あまり印象には残っていない。もちろん館名入りがパンフが欲しくて、公開日にパンフレットだけを買いに日劇へ足を運んだ(汗)。作品はサイコーだった! まさかパート2の時代設定より未来で、同じ映画館で再見するとは当時は夢にも思わなかった。

コクーン
1985.12.15 日劇東宝
この前にJ・チェンの大傑作『ポリス・ストーリー香港国際警察』をみたあとだった上に、これが個人的に嫌いな作品なので印象残らず。

コマンドー
1986.02.08 日本劇場
この頃になると日劇には公開日直後に足を運ぶだけでなく、日劇ではアクション物などの派手な作品が似合うので面白さがアップするというのも自分の中でセオリーになってきて期待値が上がっていた気がする。これもそんな意味で日劇だからおもしろいと感じられた作品。シュワちゃんのセリフがいちいちキマッテいて楽しかった。だから絶対に今回のサヨナラショウで入ってほしかった。地上波オンエアの度にネット上であんな盛り上がるんだから、声出し上映とかどうでしたかねぇ?
うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ
1986.03.03 日劇東宝
うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー
1986.03.03 日劇東宝
日劇3館では邦画系の日劇東宝ならではの二本立て編成。

アリオン
1986.03.16 日本劇場
『宇宙からの帰還』を除くと日本映画初の邦画作品はアニメのこれ。作品も期待外れだったが、何しろ日劇の「普段」のハリウッドメジャー大作の音響に耳が慣れてきたゆえに、本作の音響が何と貧弱に聞こえたことか。邦画のサウンドデザインのダメさ加減にボヤキが止まらなかった覚えがある。
愛と哀しみの果て
1986.04.03 日本劇場(70ミリ上映)
実はこの頃、観客動員数によって日劇3館内で作品を入れ替えることがあることを知る。本来日劇プラザにブッキングされていたこの作品もアカデミー賞効果で客足がよく、しばらく入れ替えられていた。というわけでややおまけチックな日劇鑑賞にはにんまり。作品のつまらなさにはゲンナリ(汗)

第5惑星
1986.05.30 日本劇場
大好きな『Uボート』の、作品的には文字通り空虚でも日劇では楽しかった『ネバーエンディング・ストーリー』の、ヴォルフガング・ペーターゼン監督のハリウッドメジャー進出初監督作。そりゃ期待しましたよ! でもドルビーサウンドでもどうにもならない空虚な作品があることを学んだだけ(汗)。
ラビリンス 魔王の迷宮
1986.07.07 日劇東宝
本作は残念ながら日劇東宝にまでしかステップアップできず。
植村直巳物語
1986.07.07 日本劇場
日劇で鳴ったウィンダム・ヒルの劇伴が何と美しかったことでしょう。このサントラ大好きです。ただし大きな映画館で極北の探検物をみるのは「寒い」ということも学ぶ(汗)
エイリアン2
1986.08.23 日本劇場(70ミリ上映)
『ターミネーター』がフロックでないことを証明してみせたキャメロン監督の本作が、私にとって人生初の先行オールナイト体験は本作。東京国際ファンタスティック映画祭の影響もあったと思うが、ジャンル系映画の楽しみ方を知っている人が集合した熱気がムンムン。エイリアン・クイーンと対決するためにリプリーがパワーローダーで登場するところとか、ビショップがニュートをあの状態でつかむとか、いろんな場面でみんなで拍手して、いやあもう大興奮。ランス・ヘンリクセンがクレジットされるところで拍手ができるなんて幸せだと思いませんか。

ベスト・キッド2
1986.10.31 日本劇場
これがファーストランで2ヶ月ロードショーできるというのだから恐ろしい時代だ(汗)。
トップガン
1986.12.12 日本劇場(70ミリ上映)
劇場公開直後を狙い、今なら「日劇でみられるな!」という思惑がピタリと当たり始めてきた頃。これもそうやって本来は日劇プラザにブッキングされた本作を日本劇場でみられた作品。ハリウッドメジャーならではの音響に唸る。
ハスラー2
1987.01.08 日本劇場(70ミリ上映)
ここでおわりかよ!と憤慨したが、正月だからいいかという気持ちにもなれたのは日劇だからか(笑)。

オーバー・ザ・トップ
1987.02.21 日本劇場
作品は馬鹿らしすぎたけれど日本劇場でみると一瞬だけでも燃え上がって楽しめる場面がある。これもそう。野暮ったいドラマはどうでもいい。やっぱりアームレスリングの試合をモンタージュでつづったところは燃える。
ペギー・スーの結婚
1987.05.10 日本劇場
日本劇場にラブロマンスは似合わない。やっぱりドカンドカンとね!と痛感した作品。

アンタッチャブル
1987.10.03 日本劇場(70ミリ上映)
人生最高の日本劇場体験はこれだと思う。開巻早々のエンニオ・モリコーネの劇伴に唸り、ショーン・コネリーの足音が本物と錯覚してしまいそうなぐらいリアルなことに心底感動。シネマサウンドの基本はリアリティであることという当たり前の事実を教えてもらった作品。一緒に行った知人はそれなりにオーディオの耳が肥えていた人間だったが、「映画館でこれはすごいよ」と涙目で感動。まあ、映画館でと但し書きをつけるところが、この人らしいし、ある意味で信用できる(汗)。そのぐらい映画館の音は一般的なオーディオよりも質的には低くみられていた時代だった。
  危険な情事
1988.06.01 日劇プラザ
日劇プラザの方がキャパのせいかぎゅうぎゅう詰めの体験回数が多い。これもその1本。しかもこの日は半額デーの日だったし。

ランボー3/怒りのアフガン
1988.06.11 日本劇場
とうとう日本劇場で「ランボー」シリーズ登場。でも本作に関しては予告編の方が盛り上がったかな。
AKIRA アキラ
1988.07.22 日劇プラザ(70ミリ上映)
一週間だけ日劇プラザで70ミリ上映という特別興行。邦画アニメとしては「星のオルフェウス」(一部米資本だけれど)「宇宙戦艦ヤマト完結編」につぐ3作目の70ミリ上映作品。何しろ『アリオン』でかなりがっかりさせられているだけに懐疑的ではあったが、オープニングのオートバイシークエンスから芸能山城組の劇伴に全身の血管が逆流するような興奮を覚えた。35ミリ版もみた知人によると、35ミリ光学音響と70ミリ磁気音響とでは全然印象が違ったらしい。芸能山城組の主催者山城祥二は映画館の音響に常日頃から不満を感じていたとコメントしていて、この方がこの日劇プラザの音をどう感じたのか、今でも聞いてみたい。

ウィロー
1988.07.30 日本劇場(70ミリ上映)
この頃はまさか『スター・ウォーズ』がエピソード8まで来るなどとは夢に思わず、ルーカスという御旗にはすぐになびいてしまっていた頃。悪くはないけどねぇ。

ロジャー・ラビット
1988.12.05 日本劇場(70ミリ上映)
狙い通り日劇でみられた。が、すべてがチグハグだった作品。ここまでマニアックな内容なのに、カートゥーンには愛情のかけらもなさそうなロバート・ゼメキスが監督したため、どこか冷ややかで笑いの少ない作品になったが、観客席もいわゆるアニメを期待しくるファミリー層には受けず、この作品を本当は楽しめるジャンル系の客は少なく、少なくともお正月に興行するタイプの作品ではないため、客席にあまり盛り上がりを感じなかった。未だに評価が微妙な作品なのも仕方がないと言える。
ダイ・ハード
1989.02.04 日本劇場(70ミリ上映)
これぞ日劇ならではのアクション映画。初日の最終回にみて、オールナイト上映で来た身も知らないオジサン(この頃は上映回ごとに入れかえはなかったので次の上映回にくる観客と客席ですれ違って退出した。初日ANがある時はそのままずーっと朝までいられる状態でもあった)に「どうだった?」と尋ねられ、「面白かった!」と答えたら、嬉しそうに「そうかあ!」と答えられて、握手までしたのを覚えている。

インディ・ジョーンズ 最後の聖戦
1989.07.14 日本劇場(70ミリ上映)
インディシリーズは本作が日劇初登場。そしてこのページを編集していて気がついたが、本作が自分にとって日本劇場でジョン・ウィリアムズの劇伴を楽しむことができた初作品になった。いろんな意味でエンドロールの印象が強烈な作品で、まずはあのレイダースマーチを聴けたことが感激をしたこと。1作目は中日シネラマ劇場(スーパーシネラマ方式!)、2作目は有楽座、3作目がここと、日本を代表する一流劇場で味わえたシリーズだった。またこの作品公開前にNHKがILMの特集を放送していて、そこで上杉裕世さんが紹介された。一緒にみた人とエンドクレジットで上杉裕世さんの名前を見つけた!と喜んだのも印象的。ルーカスフィルムのポストプロダクションの凄みを味わえる劇場だった。

007/消されたライセンス
1989.09.30 日本劇場(70ミリ上映)
日劇の音を体験させたいのに、いつも上京してくるとドラマばかりにあたっていた名古屋在住の友人のためにつきあった1本。内容も音も印象は薄い。

ブラック・レイン
1989.10.12 日劇プラザ(70ミリ上映)
あのリドリー・スコットが日本ロケを!とはりきってでかけた作品。これもプラザはほぼ満員の状態だった。大阪の空撮に息を呑んだことを覚えている。まさかこの後、松田優作の訃報にふれるとは夢にも思わず。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2
1990.01.03 日本劇場
これも日劇ならではのエンターテイメント作品。日劇の歴史に残る動員数を記録したのも納得。正月らしい客席の賑わいは、こちらの気分もウキウキしてくる。
アビス
1990.03.26 日劇プラザ(70ミリ上映)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』のロングランのせい(?)でこっちが日劇に入れかえ上映は来なかった(はず)。キャメロンをもってしてもまだまだヒットメーカーではなかったのだ。
ドライビング・ミス・デイジー
1990.05.14 日本劇場
心の中で「みゆき座」でやろうよ、と思っていた(汗)。
オールウェイズ
1990.05.15 日劇プラザ(70ミリ上映)
逆に日劇では見損なってプラザに回ってきたケースもあった。これは・・・まあどっちでもいいや、な作品。
ローズ家の戦争
1990.07.03 日本劇場
多分日劇でみた作品で、一番嫌いな作品。夫婦げんかを大劇場でみても何のカタルシスもない。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3
1990.07.22 日本劇場
その当時に交際していた女性と別れ話をして、本当は2人でみるはずだった指定席に1人でみたという点でテンション最低の状態だった上に(だって1年前には『最後の聖戦』みて幸せだったのに!)、まさかこんな展開の話になるのかとガッカリした(だって本作のハラハラは全部1と2の焼き直しじゃないか!)未だに楽しむことができない3作目。みんなこの3作目は楽しいのですか?(汗)

トータル・リコール
1990.12. 日本劇場
シュワ、カロルコ、そしてジェリー・ゴールドスミスとくれば、もう鉄板な体験!(笑) 映画館でみるとはそういうことなのだといってよいのだと思う。
プレデター2
1991.01.25 日劇プラザ
人生で一番映画館に足を運んでいた頃で、こういうのは映画館でみたことが、あとあと貴重だったのだなあと思い返すことが多い。

ゴッドファーザー PARTⅢ
1991.03.08 日本劇場(70ミリ上映)
大作なのはわかるが、そうじゃないよとブッキングには文句をつけたかった作品。
ジェイコブス・ラダー
1991.04.12 日劇プラザ
結構楽しみにはしていたのだが・・・。プラザの方がこの手の作品が多いのは致し方ないか。
愛がこわれるとき
1991.05.15 日劇プラザ
何でこれをみたかって、そりゃジョセフ・ルーベンの監督作品だからであって、ジュリア・ロバーツ目当てではなかったことだけ主張しておきます(汗)

ダンス・ウィズ・ウルブス
1991.05.27 日本劇場
そうそう、こういうエピックが大劇場には似合うのよ!というタイプで、すごく映画館に合っていた作品だった。

ターミネーター2
1991.08.25 日本劇場
本作が動員数としては日本劇場歴代最高の記録を持っている(はず)。公開初日はすさまじい行列だった。ふふふ、でも私は初日に指定席でみたのだ! こういう優越感もたまらない映画館だった。また一足先によみうりホールの試写で大感激していた本作だが、もう映像も音も別物。試写も初日にも一緒に足を運んだ知人は、普段映画もみず音なども全くこだわりのない人だったが、「全然違った! すごかった!」と興奮気味に語っていた。この手のエピソードは私の周囲に数え切れないぐらいあるというのもすごいと思いませんか。この頃はすでに日劇もドルビーSR上映に対応していて(資料を確認できなかったので間違っていたら申し訳ない)、サウンドもさすがの日劇という音だった。映画も大傑作。

ケープ・フィアー
1991.12.26 日本劇場
正月にみる作品ではなかった、という印象しかない。
スター・トレックⅥ 未知の世界
1992.03.19 日劇プラザ(70ミリ上映)
一度見始めたシリーズ物をやめるのがイヤだった頃で、しかも本シリーズは4と5が好きだったので期待してみた作品。ちょっとこの頃から日劇プラザでみるのが今ひとつ盛り上がらなくなってきて足を運ぶ回数が減ってくる。というのも渋谷に前年渋東シネタワー(現TOHOシネマズ渋谷)が開館し、そちらの方が便がよかったから。でも日劇はまだまだ別格!
エイリアン3
1992.10.23 日劇プラザ
公開最終日。やっぱりみておくかと足を運んだがほぼ満員。座席は最前列になり70ミリ画面をずーっと見上げるというシンドイ体勢でみたことが一番印象に残った作品。

ホット・ショット2
1993.06.28 日劇プラザ
まあ、どうでもいいや(笑)。

ジュラシック・パーク
1993.07.23 日本劇場
国内dts上映の第1号作品。そして私が日劇から離れるきっかけにもなった作品。実際作品の内容は別として、音響的にはdtsのセパレーションの素晴らしさや、ダイナミックレンジの大きさにも感心はしたが、新宿プラザ劇場で同年2月に観賞したドルビーデジタル国内初上映作品『ドラキュラ』の方がはるかに印象がよかった。ところがこのあとこの年初上陸した外資系シネコンワーナーマイカルシネマズ海老名で体験した『ジュラシック・パーク』に度肝を抜かれる。国内初のTHX認証シアター+dtsでJBLで鳴った音は、いわゆるアメリカンシネマサウンド系で、音響の思想が全く違っており、dtsの凄みを感じることができた。日劇よりも音のよい映画館が出現したことに驚いた。
ザ・シークレット・サービス
1993.09.24 日劇プラザ
この年は国内デジタル音響上映の元年で、SRD(正確には1992年末)、dtsに続き、国内初のSDDS上映作品として登場。なんだけれど完全に日劇3館が特性としてデジタル音響作品には合わないことを再認識。
クリフハンガー
1993.12.10 日本劇場(70ミリ上映)
いやあ、日劇はこうだよと醍醐味が味わえた大味アクション映画。本当にスタさんとシュワさんには感謝でしょ。

ライオン・キング
1994.07.25 日本劇場
当時交際中だった彼女(現在の妻でーす、えへっ)をはりきって日劇に誘う。まあ、いくら音がよいからってデートでお世辞にも都会とは言えない場所にあるWMC海老名(現・イオンシネマ海老名)に行こうとは、さすがにならないわけ(汗)で、こういう使い方を日劇でした人は少なからず、いやかなりいるのではないか。一応白状すると私もデートで日劇はこれが初ではないわけで(前述の通り)。ただこの年にはもう年1回しか出かけていない。この頃からドルビーデジタルやdts作品が一気に増えて、いわゆる大作はWMC海老名に足を運ぶことが増える。
ポカホンタス
1995.07.25 日本劇場
再び翌年交際中だった彼女(現在の妻でーす、えへっ)と日劇でデート。この年もこれのみ。
ノートルダムの鐘
1996.08.29 日本劇場
三度交際中だった彼女(現在の妻でーす、えへっ←しつこい?)と日劇でデート。この年もこれのみ。ただ作品自体が素晴らしかったので、鑑賞後、心中では「シネコンでみたかったかも・・・」と微妙に後悔したとは口が裂けても言えない(大汗) この年もこれのみ。
もののけ姫
1997.08.14 日劇プラザ
四度交際中だった彼女(現在の妻でーす、えへっ←永い春だよね・・・待たせてスマナカッタ妻よ!)と日劇でデート。そしてこれが私の日劇離れの決定打となる。とにかく低音はひびきすぎ、ダイアローグにはまるでエコーがかかったよう、弦楽器の繊細さが欠けていた。一番ひどかったのが祟り神となったオオイノシシの言葉。何を話しているのかまったく聞き取れなかったこと。あまりの再生バランスの悪さにめまいがしそうになった。
トイ・ストーリー2
2000.05.12 日劇プラザ
これがDLP国内商業上映第1号作品。今ではこれが当たり前ですから時代を感じずにはいられない。DLPだったから足を運んだわけだが、それほどの高画質!とは感じなかった。画調はすっきりくっきりで、本当にクリア。暗部の階調表現は健闘していた。白の部分の表現力はフィルムにはかなわず、色がとんでいる感じ。字幕などはあきらかにシャギー(ぎざぎざ)が見えた。この後もDLPをみるために日劇に足を運ぶには至らず。
スパイダーマン
2002.05.04 日劇1
日劇がリニューアルされて座席数が減少。音響システムもEVのスピーカーを中心にしたシステムになった後の作品。ただこれまた私には落胆の方が大きかった。ロードショーとしてはこれが最後の日本劇場体験。→当時のレポートも参照。
コラテラル
2004.09.09 日劇1
日劇でとしては人生で最初で最後の試写体験。
遊星からの物体X ファーストコンタクト
2012.08.15 TOHOシネマズ日劇2
たまたま時間があったからみただけ。
  モンスターズ・ユニバーシティ
2013.08.13 TOHOシネマズ日劇3
たまたま字幕版の上映館数が少なくてここに来ただけ。

開館当初の日劇3館音響システム一覧(pdf)

開館当初に希望者に配布されていた資料です。クリックするとpdfで拡大されます。


日劇のチケット袋(みんな微妙に違うのですぞ)