-村上浩康監督のこと-
この文章は、1人の映画監督さんについて私が知っていることです。その監督さんの作品が、今夏、ポレポレ東中野で上映されて評判を呼び、門真国際映画祭最優秀賞作品賞を受賞されたり、山形国際ドキュメンタリー映画祭2019で上映されたり、雑誌「BRUTUS」で、あの柳下毅一郎さんがプッシュしていたりと、大きな反響を呼んでいました。その監督が、何と2019年度の新藤兼人賞で金賞を受賞されました。過去の受賞者の顔ぶれも錚錚たる中で、ドキュメンタリー制作者としては初というのも快挙で、スゴイという尊敬の念と、あの作品だったら評価されて当然でしょ!という気持ちと(エラそうでスミマセン)、知っている方が貰ったという自慢したい気持ち(汗)とで、私も個人的に歓喜でした。
お名前は村上浩康さんと言います。
<フィルモグラフィ>
『流 ながれ』(2012)
『小さな学校』(2012)
『無名碑 MONUMENT』(2016)
『東京干潟』(2019)
『蟹の惑星』(2019)
○監督との出会い、そして『流 ながれ』
村上浩康監督とは第1回WOWOW映画王選手権で知り合いました。お互いに出場者同士で映画のチラシのこととか(今はなき水野書店を教えてもらったのも村上さんにでした)、オンエア中の『ゴッドファーザー』とかで休憩中に盛り上がっていました。
そんな村上さんから「自分の作品が上映されます」という話を教えていただいたのは、2012年のこと。村上さんは映画監督という肩書きもお持ちだったことに驚きました。作品の題名は『流(ながれ)』、神奈川県の中津川の生態と、生き物の保護と研究に取り組んだ男性2人の姿を、平成13年から10年間にわたり追い続けたドキュメンタリー映画です。この作品は第53回科学技術映像祭文部科学大臣賞を受賞し、第65回映像技術賞・文部科学省特選、そして2012年度キネマ旬報文化映画ベストテン第4位にも選出されています。ポレポレ中野での劇場公開で私も鑑賞をした(こうやって考えるとポレポレ東中野の選択眼という物はスゴイものがあると敬服するしかありません)のですが、とても興味深い作品でした。それは『流』が優れた<記録映画>だったからです。
『流』がおもしろいのは、ホビーがカルチャーになる過程を描いているからです。中津川の生態を保護している男性は、ただ単にそれが好きで興味があるからはじめたのだと思います。そこにはフィクションにありがちな何かに突き動かされた使命感は感じられません。ところがそれを続けていくうちに、自分も周囲もどんどん変化していきます。「好き(ホビー)」が、たくさんの人々と「一緒に共有する(カルチャー)」になったのです。派手さはなくても映像作家がその一側面を切り取り、その見方を観客に提示するだけでも、その切り取り方と見方が優れていれば作品はおもしろいものになると思うのです。だから『流』は優れた<記録映画>だし、優れた<記録映画>と呼ばれている作品はドキュメンタリーの作品群の中でもっと評価されるべきだと思いました。
○『無名碑 MONUMENT』というプロトタイプ
そんな村上さんが2016年にTwitterで「盛岡たかまつ手づくり映画祭」で上映するために撮影している話をされていました。そうしてできあがった作品が『無名碑
MONUMENT』でした。
(公式サイトより)
この映画は岩手県盛岡市にある「高松の池」を舞台にした映画祭で上映するために製作されたドキュメンタリー映画です。市民の憩いの場で桜の名所でもある「高松の池」を舞台に、ここを訪れる様々な人々にインタビューをしながら、池にまつわる歴史や生き物たちの姿、さらに戦争の記憶や環境問題などを描きます。
おやっ?と思った方はいませんか? そう! 『東京干潟』や『蟹の惑星』と通じる物を感じませんか?
『無名碑 MONUMENT』は、何人かの人物にインタビューをして、それを少しずつ掘り下げながら進行していきます。その中にシベリア抑留の過去をお話される男性がいました。ここが時間的にも多く割かれていて、強く印象に残ります。しかし、当初からそういう構成にしようと考えていたわけではなく、その方との交流の中で生まれてきたものです。村上監督は『東京干潟』や『蟹の惑星』の上映時に製作の背景を語っていらっしゃいましたが、「元々は1つの作品として、オムニバス的な構成にするつもりだった」という発言をされています。実際他に入れるつもりだった題材のお話も伺いましたが、その構成の萌芽は『無名碑 MONUMENT』にあったといっても過言ではありません。
実際驚くほど似ています。高松の池と多摩川の自然の様子、人々に向けた映像の構図、インタビューで聴き手の村上監督の言葉が多く使われていること、などなどです。ただこれも断言しますがアイディアの模倣とかの焼き直しとかではありません。どちらかというとこのスタイルならば自分は描けるという確立の瞬間だったのではないでしょうか。フィクションの世界でもどこかの作品をきっかけにして、自らの演出スタイルを確立する方がいるのと似ていると思います。
私もなかなか機会が合わず『東京干潟』や『蟹の惑星』を鑑賞した後で、この作品をみる機会を得ました。作品自体も面白かったのですが、村上監督のフィルモグラフィとして系統的に眺めると、この作品はとても重要な位置にあることがわかって、そういう意味でも興味深く楽しむことができました(鑑賞順がこうなって今となってはこれでラッキーだったかも、と思うほどです)。
○『東京干潟』と『蟹の惑星』という進行形と村上作品の魅力
それから少しだけ時が流れて、Twitterで干潟の撮影をされている様子が発信されるようになりました。場所が自分の住んでいる川崎市を流れる多摩川というのもあって、とても興味があり、作品完成が待ち遠しかったです。それが『東京干潟』と『蟹の惑星』でした。(私もチラシを撒くのを少しだけお手伝いしました)
公式サイト
私の感想『東京干潟』
私の感想『蟹の惑星』
村上浩康監督インタビュー@ビデオSALON
※多分このインタビューがマスコミ媒体では、内容的に充実した物のひとつで、ぜひ読んでいただきたいです。
では村上作品の魅力とは何でしょうか。視覚的な驚きにつながる映像の面白さ、自然と共存して生きている人々への優しい眼差しや、高齢の男性との交流から生まれた知られざる物語が軸になる点など、たくさんあると思います。でも私は大きなポイントが2つあると思います。
まず1つ目は日本映画でドキュメンタリーの分野で先人達が築き上げてきた日常生活の中での人々の営みや自然など、身近な中から語るべきだと感じた題材に土着的に向き合うスタイルを、きちんと踏襲していることです。私は昨今のドキュメンタリーの風潮が好きになれません。何となくパターンが決まっていて、強烈な個性が素材として重宝がられ、その醜悪さをさらけ出し、フィクションとノンフィクションの境目をうろうろするような作風がもてはやされている気がします。それではリアリティショーと変わりません。だが本来ドキュメンタリーはそうではなくて、作り手が人々に伝えるべきだと感じるものを見つけ、そこにじっくりと向き合っていく中で生み出していくものだと思うのです(単純に時間をかけるという意味ではなく)。それによって観客に与えられた感情は、深く揺り動かされるだけでなく、多層的な視点を得ることができるように思います。何が伝えるべきで、何が露悪趣味かの基準など誰にもわかりません。でも良質なドキュメンタリーが、なぜ観客に「みてよかった」と感じられるのかといえば、それはその題材と描き方が「知りたかった」ではなく「知ってよかった」という段階まで描けているかが重要なのです。その選択の段階を結果的にみせる形となったが『無名碑
MONUMENT』であり、そこまで描けたことで『東京干潟』のシジミのおじいさんの生き様が胸に迫ったのです。余談ですが最近のドキュメンタリーはこの潮目が変わってきたかなと感じる良質な作品が増えて、そういう点でも村上作品はその流れの代表選手になれると思っています。
2つめは監督自身のコミュニケーションの記録となっているので、まるで自分もそこにいるような気持ちとなれることです。村上監督は取材も撮影も編集も全部1人でやっていらっしゃいます。音楽や音響のところでお願いしている場面もあるそうですが、あとは全部ひとりです。ひとりだからやりやすいこともあると思いますが、ひとりでカメラを持ってとなると、実は相手に相当用心される面もあるのではないかと考えます。しかし村上作品でそれが成立するのは、間違いなく監督の人柄と、そこまで誠実に被写体と向き合って積み重ねた時間があるからです。その結晶が村上作品なのだと言えます。実際、村上監督もシジミのおじいさんの第一印象は「ちょっと怖かった」そうで(そう語っているのも正直ですよね)、でもそこで何かを感じて、おじいさんとのコミュニケーションをとっていく中で、『東京干潟』は生まれました。観客も最初はシジミのおじいさんを怖いと感じたかも知れません。でも最後にはおじいさんの毎日にささやかな幸せが訪れますようにと願わずにはいられません。
ですから。こんなことが起きます。
東京での上映を終えて、地方での上映が始まる中。日本列島を台風19号が直撃します。その被害で、実際おじいさんの家も水没してしまいました。その時に皆さんはそれぞれに様々な心配をされたことでしょう。でも『東京干潟』を鑑賞された方は、心のどこかで心配されたと思います。あのシジミのおじいさんと猫たちと干潟のことを。そこで起きた出来事を記しておくと、やっぱりみんなおじいさんが心配になったそうです。村上監督は山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映があって、足を運べないので、具体的な物資名だけ記してツイートされていました。そうしたら何人もの人が届けたそうです。だからシジミのおじいさんはその感謝を伝えたくて、横浜での上映の時に、舞台挨拶に登場したと聞きました。
私はこの一連の動きに胸をうたれました。ただ何というか感動したとかではない気がしますし、ましてやいわゆる聖地巡礼とか興味本位とかともちょっと違う気がして、何かもっとシンプルで根源的な感情での行動だった気がするのです。それは隣の人が困っていたら手を差し伸べるとか、誰かが助けてとさけんでいたら行ってみるとか、そんな日常的なレベルのもので、そういう世界と観客を作品がつなげています。しかもそこで終わらずに、日常が入り口になったその先に自然と人間という大きなテーマを俯瞰できるような多層構造がスゴイと思うのです。そして間違いなくこれは『東京干潟』と『蟹の惑星』が持っている作品の力の一端なのではないでしょうか。そう、まさしくこのドキュメンタリーは完結しているのではなく、進行形の作品なのです。
それとも関連しますが、村上作品を見終えるとすごく穏やかな気持ちになります。題材がそういうものを選んでいるからかもしれませんが、ものすごく知的で部分と、どことなく土着信仰的な匂いが重なり合っていて、それが人々の行動や言葉をまるで祈りにも似た光景のように感じてしまうのかも知れません。そこが入り口となってとても穏やかな気持ちになれるだけではなく、村上監督の優しさを私たちも共有したいと願うようになるのかもしれません。
これまでの村上監督作品は、村上浩康さんが「ドキュメント」を生きた記録です。これに尽きると思います。一応但し書きをしておきますが、大ヒットするタイプの作品ではないです(汗)。ここには派手な映像エフェクトとか、盛り上がる劇伴とか、激しい台詞の応酬とかもありません。でも。何でもそうなんですが、特にこういう予算的に小さな作品は表現ににじみでるのはクリエイターの「人柄」なのかもしれません。こういうことに興味をもつ監督さんですから、それは多分観客の皆さんも感じられるでしょう(笑)。
ただ。難しいのは次ですよね。観客のハードルは上がるし、関わる人の数も増えてきて、面倒くさいこともあるかもしれません。
でもいいじゃないですか、監督。
誰だって最初は自分でカメラを持って、みーんな最初は自分で1人で廻して始めたんだし、新海誠だってそうですよね(例えが適切じゃないかな?)。それでできた作品が世の中に認められてからも、作品を作り続けられる機会がある人はそれだけで幸せです。その可能性が増えたことは素直に喜びたいです。そして追いかけたい物が見つかるまで、じっくりと構えて。実際監督とお話しした中で、こんな作品を撮りたいというお話があって、中にはおもわず苦笑いしてしまった物もありましたが(汗)、許されるならばアンゲロプスやエリセのように寡作でも(笑)、村上監督の新作が登場することを願ってやみません。そして私は楽しみにしているのです。素直に「へぇ」という気持ちを持たせてもらえると共に、自分の心を豊かにしてもらったなあと鑑賞後に思える作品とまた出会えることを。
本当に素晴らしい作品をありがとうございました。そしていろいろとおめでとうございます。(これからの賞シーズン、多分まだまだおめでとうが言えそうですかね!)
村上監督作品の上映の機会は貴重ですから、ぜひ皆さんも足を運んでください。(2019年11月 文:じんけし)
<祝!新藤兼人賞金賞受賞>凱旋アンコール上映開催!!
『蟹の惑星』『東京干潟』12/21 ~ 12/28