−日本アニメの飛翔期をさぐる−
7/15〜8/31 川崎市市民ミュージアムにて開催
展示レポート
15日からスタートした今回の展示企画。私は初日14:00からの細萱敦学芸員の展示解説に参加してきました。
まず展示の概要、企画に関する意図などを聞いた後、私たちの目に飛び込んできたのはモノクロのスチルパネル群。そこにあったのは戦前のアニメーション作品の場面写真でした。名前しか聞いたことがなかったものが多く、まずここでびっくり。ご存じの方も多いと思いますが、戦前のアニメーションには今から考えても高水準なものが多く、幻の名作と呼ばれているものが数多くあります。たとえば「くもとちゅうりっぷ」という作品は大変評価が高く、簡単に見られない現状がうらめしく思うほどです。スチルをみているだけでもこれがどのように動くのだろうと興味津々なものばかりでした。そんな戦前のアニメーターたちが戦後興した会社が日本動画であり、これが東映動画へとつながっていくそうです。
そしてここからは作品別の展示がスタートします。実はここからがこの企画でもっとも興味深いところです。それはスタッフが1本の作品を創造するにあたっての試行錯誤の歩みであり、その積み重ねからアニメーションの制作システムのパターンができあがり、それが日本のアニメーションの方向を決定したという歴史があるからです。さて日本最初の長編カラーアニメーション『白蛇伝』。
今から見ると誰を対象にしているのかよくわからない話の整理の仕方であったり、2人で何役もこなしているのに違和感を感じたりと、さすがに古さを感じたり、完成度が不充分であったりする点は否めませんが、そんな混沌の中で完成したこの作品は、やはり出発点として見落とすことが出来ません。まず興味深いのは戦前からのアニメ作品制作経験者やアニメーターを多数確保したにもかかわらず、実写からのスタッフも参加して、デザインやコンテ作り、ライブアクションなどを撮影しているという事実。会社側がアニメ作品経験者に結局任せきれなかったにもかかわらず、アニメーションでもっとも難しい部分は動きの表現であるということをよくわかっている彼らが、作品制作のイニシアチブを握っていく様子が資料からもわかります。それにしてもこの頃のセルの美しさは驚嘆!(しかもスタンダードサイズの作品なので私が知っているセル画のサイズより小さかった)ため息が出るほどです。
それから「西遊記」です。ここには手塚治虫が関わったわけですが、彼との創作が必ずしも一枚岩でスムーズにいかなかっと言うことがこのあとのコンテでよくわかります。2つのコンテがおかれていますが、手塚治虫のコンテはあまりにも漫画的でアニメのコンテとしてはつまらない(!)そうです。またキャラデザインも動かすと言う前提のもとにスタッフに彼のデザインはばんばん不採用となってしまうという・・・信じられない出来事が資料でわかります。また1枚の白黒スチル写真で「うわあ」と思ったのですが、手塚が自分が書いた膨大なスケッチ(?)を背景にスタッフと話している様子がそこには写っていました。
手塚カラーもかなり残っているものの(後日筆者は初めて作品を見ましたが、ギャグなんかはいかにも手塚らしいものが散見されました)、手塚自身には不満が残る仕事となったようで、このあとあと2本東映動画と関わりますが、結局自分で虫プロをおこすこととなります。
さらにこのあとの「安寿と厨子王丸」にいたると、なんとロケハンで8ミリフィルムまで回すという状況で、制作側とアニメーションスタッフとの間で対立が激しくなってきます。これは最初は手探りだった制作状況の中で東映動画のスタッフががやろうとしている方向性が徐々に明確になってきたということです。つまりアニメとは無関係の才能とのコラボレーションの中で、結果的に「アニメーション映画に何が大事か」を理解してきたのではないでしょうか。
それがはっきりとしたのが「わんぱく王子の大蛇退治」であり、この作品は大きなコーナーになっていました。アニメーターたちが中心になった制作体制、作画監督という役割の導入、そしてダイナミックな動きながらも、アニメーションらしい表現という現在につながる作風などがこの作品で確立されたそうです。
膨大な背景美術やキャラクターデザインなどを見ると制作の過程に迷いがないというか、ひとつのゴールに向かって進んでいるということがよくわかるものでした。また制作風景に若い日の高畑勲さんが写っています。なにかすごく情熱に燃えている青年という感じでほほえましかったです(笑) これが後の名作「太陽の王子ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」にとつながっていくわけですが、ホルスのセル画も展示されてあり、私としてはなまで見られたのが大感激でした。

細萱敦学芸員にもう少しお話をうかがうことができました。
−企画の意図について教えてください
細萱さん「東映さんから古い長編の資料がたくさん残っているというお話があったのもきっかけの1つだったのですが、なかなか今までの展示会というのがどうしても現代の人気がある作品を中心にして、その中に少しだけ古い作品がある程度という形が多かったというのがありまして。それで東映さんからのお話のあと、調べに行ったららあるわあるわ、もう貴重な資料がやまのようにありました。ですから一度きちんと60年代の一番オリジナルなものをもとめていた時代を取り上げたいと考えたからです。それから創作過程というものを伝えたかったという点。企画から出発してどのように1本のフィルムに残るのかという部分はなかなか知られていないところなので、そのあたりもあります」
−展示の内容に関してですが見ていただきたいという部分はどこでしょう
細萱さん「やはり、「白蛇伝」「西遊記」 あとは大きなコーナーを作った「わんぱく王子の大蛇退治」に関する展示ですね」
−作品別に。まずは「白蛇伝」から・・・
細萱さん「本当にここでは手探りだったんですよね。資料をもっといろいろ調べていくと面白いとおもうのですが。というのも絵1つ作るだけでも、いろんな人がとっかえひっかえ出てくるんです。それを最終的にうごかさなければいけないのがまた大変。さらに音を入れなくてはいけないのがまた大変。とすべての段階が試行錯誤だったわけです。たとえば音に関してですが、この作品は一時期「ファンタジア」のように音を先に作ってそれに画をあわせようと試みたことが資料からわかったんです。それがなぜか森繁久弥と宮城まり子になったわけですが(笑) そんな前例がないという混乱の中でもちゃんと作品ができあがったというのがすごいですね。この時点から旧日動のアニメーターの方々の方が作品を作る上で影響力が強かったというのは展示した資料からわかっていただけると思います」
−続いて「西遊記」
細萱さん「上の話とも関わりますが、とはいいつつも他の血が入ったという部分はやはり大きな影響を与えているんです。手塚治虫にしてみると自分のアイディアはどんどんきられちゃうし、思い通りにいかないしで、イヤになっちゃったみたいですけれど。それでもこりずに計3回関わるわけですが(笑) ただ「西遊記」には手塚のアイディアのギャグが残っているんですね。たとえば最初の方の悟空が滝壺に飛び込むシーンで猿がコーラスしてたり、戦っているシーンで突如闘牛になったり、相手の胃の中で大暴れしたり。でも大塚さん(大塚康生さん 東映動画の第1期生として採用され、後に作画監督として活躍)にいわせると手塚さんの構成はとにかく全編山場。だけど東映の物語のスタイルは最後が山で、そこにいかにして持っていくかだと我々はすりこまれているから、そのあたりに摩擦はあったとおっしゃってましたが」
−今日のお話でこれらの資料をどう残すかが課題というお話でしたが、どういうことでしょうか。
細萱さん「これらの資料はあと1年ほど各地で展示されるわけですが、その後は東映の資料部に戻ります。ただそこは製作の現場ですから肩身の狭い思いをしているみたいなんですね。まあ、東映もアニメーション美術館構想などはあるようですが、なかなか動き始めていないのが現状です。また資料が製作現場だけでなく、制作者、コレクターなどばらばらにばっているという部分もあります。ただ動きはありまして、とりあえず来年ジブリ美術館がオープンします。このような受け入れ先がやはりどこかに必要だと思うのです。それからこれらの資料が貴重で価値のあるものだという判断をする研究者も必要です。そちらの方は2年ほど前にアニメーション学会ができあがりまして、きちっと研究をしていこうとしています」
−では最後にどのような方々にこの展示を見ていただきたいですか?
細萱さん「正直言うとどんな方が来るか予想が難しいところがあります(笑)。内容が60年代なわけですがそこを経験している方は50代ぐらいで男性でいうと働き盛り。なかなかこういう所へは足を運べないでしょうし、あまり振り返ろうとされないかもしれませんが、ぜひご覧いただきたいです。それからもちろん未体験の世代にも。というのも当館も上映企画と連動しているのですが、まず作品にふれられる機会が少ない。そしてこのような創作の過程を見られる場はもっと少ないのですから、貴重なチャンスをぜひ逃さないでいただきたいと思います」

今回の資料展示は大変面白かった。とくに作品を並べてみると初めてわかる映画史的な観点は、それぞれの作品を見る際に新しい視点を教えてもらったような気がする。でも何よりも私が心うたれたのは、ひとつの作品を生み出すときに多くの人々の情熱が傾けられていたということが、具体的な資料を通してわかったこと。お恥ずかしいことに、私も訪れてからやっとその展示されている資料の価値が理解できた。これも映画のおもしろさであると思うが、クリエイターの創造の過程はなかなか世に出てこない。そういうものをよしとしないアーティストも数多くいる。しかし映画製作の現場はさまざまな形で資料が残りやすく、アニメーションはこのような形で数多くの資料が残っているということだ。このような創造の過程の資料が文化としてもっともっと認められてほしい。何かを創造するという行為にはジャンルによる価値の違いなどあるわけがない。セルアニメーションがほぼ姿を消した今だから、そして日本のアニメーションが世界的に評価されている今だから、ぜひ足を運んでもらいたい展示会である。最後に販売されている図録の素晴らしさにふれておこう。\1600の価値は充分にあるよみごたえのあるものになっている。ぜひお買い求めあれ!